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『和紙と光の織り成す世界』

Dsc_0099堀木エリ子という人をご存じだろうか。
40代半ばの彼女は学校卒業後金融機関に勤めた。
やがて和紙製作会社に転職、そこで日本の伝統芸が廃れていく姿を見て、何とかしなければという思いにかられたという。
自ら和紙を漉き、アートワークを製作し、ライティングを組み合わせた装飾で建築空間を彩る。
98年成田空港第一旅客ターミナル到着ロビーのアートワークを製作、その後そごう心斎橋本店、東京ミッドタウン・ガレリアなど次々と大型作品を世に出している。

和紙と人々を結び付けたい、と堀木さんは言う。
紙は神に通じ自然の偶然性がデザインに加味される。
そこに感動が生まれる。
堀木さんの作品は単なる美術館の展示物ではなく、現代建築の中で見事に和紙の価値を蘇らせたという点ですばらしいと思う。

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『太陽』

ロシア、イタリア、フランスなどの共同制作映画「太陽」を観た。
外国の映画のようだが、主人公は日本の昭和天皇、舞台は宮中と、マッカーサーに面会に行くGHQ総司令部がほとんどだ。
どう考えても他の国で人気の出る映画ではないと思う。
こんな映画をなぜロシアが作り、そして日本の映画製作会社は作ってこなかったのかが一番のポイントだと思う。
テーマは現人神、天皇が人間になるための葛藤だ。
カメラは人間天皇を克明に追う。
食事、着替え、アルバムを見る、鯰の魅力を語る、果てはアメリカ従軍カメラマンたちの前でポーズまでとる。
当時の日本、いや今の日本のメディアでもタブーなところまで切り込む。
その遠慮のなさこそが外国製作映画の技かもしれない。
そしてそのアップの映像に耐え、見事に昭和天皇を描ききったイッセー尾形の演技も見事だ。

日本にはいろいろおかしな天皇もいる。
防衛省の天皇は接待ゴルフに狂い、新聞社の天皇は政界大連立を仕掛け、NHKの天皇は会長を辞めた後もいまなお院政を敷く。

いつも天皇の取り巻きが利用したり、逆に口をつぐんだりして「天皇神話」を歪めていく。

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『そばうちに挑戦』

071122_sobauchi料理にフラワーアレンジメントと、50の手習いに目覚めた私が次に挑戦したのが「そばうち」であった。

横浜市が主催する地域活動の「そばうち体験教室」に参加した。
平日の午後、男女合わせて11人が参加した教室、講師は近くのそば店の経営者と厨房スタッフであった。
まず先生から「おいしいそばは、粉がひきたて、そばがうちたて、そしてゆでたての3たてがポイント」という説明があった。
そのあと粉のこね方の実演指導を受けた後、早速自ら挑戦となった。
そば粉7に小麦粉3の割合で配合した原料の粉を木鉢にあけて、水200グラムを入れてこねはじめる。手だけを動かすのではなく、腰をつかい屈伸しながら木鉢全体を使いながら満遍なくこねてゆく。しばらくしてさし水を加えるが、まさにこの水加減が部屋の湿度などで微妙に変わるというから、これは初めての私にはお手上げだ。

後から考えるとこの水加減とやはりこね方が足りなかったのではないかと反省する。
というのも私の打ったそばはぷつぷつ切れてしまい、しなやかさに欠けていたのだ。

こねてのばし、そしてたたんで大きなそば包丁で切り、五人前のそばを土産に 家路に着いたが、みっちり三時間集中した満足感があった。

先生のお手本のそばを頂いたが、私のとは大違いで実に美味しかった。
初体験だがなにかとても奥の深い「そばワールド」を垣間見た気がする。

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『山本薩夫の世界』

東京中央区にある東京国立近代美術館フィルムセンターで開かれている「東京フィルメックス」に行ってきた。
これは海外に向けて優れた日本映画を発信していきたいという趣旨で、特定非営利法人東京フィルメックス実行委員会が、朝日新聞社などの共催で開いているものだ。
このうち社会派ドキュメンタリー映画特集として山本薩夫監督の作品がまとめて上映されている。
私は先ず「にっぽん泥棒物語」を観た。
これは昭和23年に起きた松川事件を題材にし、この事件に巻き込まれた泥棒が最後には正義の証言を裁判所で行い、冤罪事件として決着をはかろうとする権力側をユーモラスを交えながらも批判的にとらえた映画だ。
戦後アメリカのデフレ政策を引き金に大量解雇が行われ労働争議が頻発、国鉄でも下山事件、松川事件といった列車事故は組合側の仕業という世論が形成されつつあった。
松川事件はいまだに真相がわからないままだが、組合員だった被告は無罪になっている。
この映画はまさにこの実際に起きた事件を題材に権力の横暴に鋭く切り込んでいる。

山本薩夫監督は、自身共産党員でさまざまな活動の果てに早稲田大学を追放され、松竹に就職、その後東宝に移った。
トークショーに出演した映画評論家佐藤忠夫さんは、「彼は貧乏人の描きかたがうまい。東宝から独立して左翼系プロとして苦労したが、左翼的作品も上手いがエンターテイメント系でも脚光を浴びた。社会派とエンターテイメント派がうまくマッチしているのが特徴」と語った。
佐藤さんの指摘したように、この映画では、悪いはずの泥棒を楽しく描き、むしろ警察を悪者にしているが、三国連太郎の名演技が見事に決まっている。山本監督は同様に「忍びの者」では、石川五右衞門を堂々と描いた。
一方、医師を悪く描いた「白い巨塔」、大富豪の金持ちの醜悪さを描く「華麗なる一族」と、彼の作品には一本通った視点が感じられる。
佐藤さんは「強いものに対するにはタフでなければならない。労働者階級を弱いものとして描くのではなく、そしてまた一方で資本家もタフに描く。華麗なる一族で富豪役を演じた佐分利信の迫力ある演技はまさにその象徴だ。エンターテイメントとして成功したのは悪い奴を堂々と描いたことにある。善玉にも悪玉にも同様に闘争心を描いたことこそ山本映画の特徴」と評している。

1965年製作の白黒映画だが飽きることなく、ストーリーに引き込まれた。
また英語の字幕をつけて外国人にも鑑賞してもらうのがこのフィルメックスの試みで、これは文化発信という意味でたいへん意義あることだと思う。

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『半働半遊?大賛成』

日本経済新聞社が主催する「シニア・ワークライフ・フォーラム2007」に参加した。
この中で講演した村田裕之さんは「リタイア・モラトリアム」の著者だが、この日の講演でも、「団塊の世代は一斉に退職するわけではなく、65歳までに次第に労働市場から姿を消して行く。これからしばらくの間新しいライフスタイルを模索するモラトリアムの時期を迎える。これまでのサラリーマン生活、あるいは結婚生活といった既定の人生を見直し、本当の生き甲斐とはなにか模索する猶予が与えられていると考えるべき」という趣旨の話をした。

私も全く同感だ。
2007年問題と騒いだのはマスコミだけで、本当に必要な人材だったら企業は自社の定年を延長すればすむことだ。
技術の伝承ができないといった企業側の都合はどうでもいい。
大切なことは企業の一員としてではなく、いかに自分の人生を構築するかという戦略を練ることのはずである。
企業の名刺に頼るのではなく、自分の顔を名刺がわりに残る人生をどう楽しむかを考える「モラトリアムの時期」が始まった。

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『神奈川開港150周年』

来年は日米通商修好条約による神奈川開港から150年にあたる。
神奈川県や横浜市ではさまざまな記念イベントを企画しているが、そのうちの一つとして開かれた「かながわの国際化を考えるシンポジウム」に行ってきた。
まず初めに、ジョセフ・R・ドノバンアメリカ大使館首席公使が講演をした。
その中でドノバン氏は「アメリカ大使館にかかってきた電話は、フィリピンで日本語堪能な人が受けています。海外に住むアメリカ人などが年金の問い合わせ照会の電話をすると、それに応えているのはマレーシアのオペレーターなのです。ITがかくも社会を変革しました」と「アメリカの技術力」を誇示した。しかし私はそれは進歩である半面問題点も多々あると首を傾げていた。
すると次に講師として壇上に立った昭和女子大学学長で「女性の品格」の著者でもある坂東眞理子さんが、「いまや海外に雇用が流出する中で、真の国際化とは日本にやって来る人にどう日本の良さを伝えることができるかにある」と述べた。
彼女はやんわりとながら、アメリカイズムが世界に広がることに対して疑念を示したと私は解釈する。

良くも悪くも20世紀はアメリカの世紀だった。
開国以来日本がアメリカ文明によって恩恵を受けてきたことはまぎれもない事実である。しかしこれからは外国文化を摂取することが国際化ではないはずだ。
日本的なものをいかに発信するかこそ21世紀型国際化のはずだ。

わかりやすい例が大相撲だろう。
外国人力士が多数入門することは歓迎すべきことだ。
朝青龍問題を彼の個人のトラブルで片付けるのではなく、国際化に合わせた体制つくりや講習のルール作りをして広く世界に門戸を開くスポーツにするチャンスと捕えるべきだ。
外国人力士が増えて気にくわないという発想は、黒船に慌てて攘夷と叫び歴史の時計の針を逆に回そうとした150年前に似ている。

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『あと3ヶ月をどう生きるか?』

作家秋元康、俳優役所広司、そして私もみな同じ世代だ。
働き盛りが突然ガン宣告、どんなに頑張ってもあと6ヶ月、元気に動けるのはせいぜい3ヶ月となれば、どうするか?
他人事ではないテーマの映画「象の背中」をみてきた。

主人公は、息子と愛人にだけ事実を告げ、奥さんや会社にはあえて何も告げず、延命治療をしない決心をする。そして初恋の人や幼なじみに会いにゆく。自分の人生をたどり、死期を悟った象が一頭群れから離れ、死に場所を探しに行くように海の見えるホスピスでその時を待つ。

自分ならどうするか。
あえて問うてみる。
意味なくただ生きながらえることは私の哲学に反する。
私は時刻表マニアだからかもしれないが、「ダイヤ通り」の人生を送りたい。
人生にハプニングはつきものだ。
それを否定するつもりはないが、人生を全力疾走で駆け抜けたという満足感があれば、例え短い人生でも悔いはない。
明日死すとも悔いは残さず。
この映画を観た感想である。

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『重光 葵(まもる)とその時代』

071115_shigemitumamoru日本の中心、国会議事堂の前庭は木立に囲まれ人も少なく散歩の穴場だ。いまは紅葉が美しい。
ここに静かにたつ憲政記念館に行ったことがある人は多くはないだろう。
いまここで開かれている「重光葵とその時代」という特別展は日本の戦前戦中戦後の外交を学ぶ上でたいへん勉強になる。

重光葵は1945年8月、東久邇宮内閣で三度目の外務大臣となり、首席全権として降伏文書に調印した。戦後はA級戦犯として服役後、鳩山内閣で副総理兼外相となり、1957年に亡くなった。
今年はちょうど没後50年にあたる。

重光は外交官時代、ロンドン、ロシア、上海などに赴き、上海時代には爆弾テロで右足を失う災難にも見舞われている。両対戦間の厳しい時代状況の中で、内にあっては軍部の突き上げ、また外にあっては諸外国列強との難しい外交交渉の主役として活躍した。
彼が死ぬ前の年、1956年日本は国際連合加入が認められ、その最初の演説で彼は「日本は東西の懸け橋になる」という名セリフを残している。

鳩山一郎との連立内閣で総理大臣にこそならなかったが、まちがいなく昭和の歴史に名を残す偉人であったことは間違いない。

落ち葉舞い散る晩秋に、現代日本の礎を築いた先人に思いを馳せるのも悪くはない。

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『ご存知ですか?鈴木安蔵』

鈴木安蔵は自由民権憲法案に精通していた憲法学者で、戦後日本国憲法の案をつくるための民間の有志による「憲法研究会」で中心的役割を果たした。
彼がまとめた憲法案がGHQの案に大きな影響を与え、今日の憲法の礎を築いたとされている。

衆議院で憲法改正発議に必要な三分の二以上の議席をもった与党は、安部内閣で国民投票法を成立させ、憲法改正に向かって舵を切った。
今年夏の参議院選挙で逆に野党が過半数をとったことでその夢は潰えたと思いきや、福田、小沢会談で大連立を画策していたことが明らかになった。もしこの構想が実現していれば憲法改正はまさに現実の日程に組み込まれていたはずだ。

自民党はもともと改憲を目指している。その最大の論拠は、今日の日本国憲法はアメリカから押し付けられたものであり、日本人が自らの手によって憲法をつくるべきだというところにある。

しかし、実はそのGHQ案のたたき台に日本人である鈴木安蔵の案があったことを世に知らしめれば、自民党など改憲勢力の論拠は崩れると考えた労働組合や護憲政党支持者たちが、鈴木安蔵を紹介した映画「日本の青空」を製作、各地で自主上映会を開いている。

私もこの映画をみるまで鈴木の存在は知らなかった。天皇の扱いや男女平等、そして戦争放棄をどうするか、あるいはまた主権天皇に固執する日本政府と天皇処刑に傾く連合国側との間にたちGHQは難しい立場であった。
その時、鈴木の案は内閣のコントロールのもと象徴天皇という落ち着きやすいものであった。
また女性に参政権を与え、基本的人権を尊重する考え方も鈴木案に沿っていた。
ただ一点、軍隊をどうするかという点は、厭戦意識が強かった当時の国民感情の中で、あえて鈴木案では空白となっていたが、GHQ側が戦争放棄と軍備不保持を書き加えた。
これは鈴木にとってももちろん大賛成であったようだ。

憲法制定から60年。
意外にも知られていない裏面に踏み込んだこの映画は、改憲の論議とは別にたいへん意義深いものであると思う。

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『Always続・三丁目の夕日』

早速見に行ってきた。
舞台はあれから一年、完成した東京タワーがそびえ、美智子様ご懐妊で沸き立つ昭和34年である。
テレビ、冷蔵庫に加え洗濯機も普及したけれど、まだ道行く人に和服姿は多く、銭湯通いが当たり前の時代だった。
今ならオートロックやホームセキュリティでプライバシーが保護され、隣近所との付き合いも限定的だが、当時は勝手によそのうちを覗き込んだり、喜びも悲しみもともに分かち合い助け合う風土が東京にはあった。
事業に失敗した親戚の娘をあずかり、向かいの貧乏作家が芥川賞に挑戦となれば、食事の世話までかってでる。いよいよ受賞発表となればみんなが集まって祝杯のフライングをしてしまう。

ストーリーにそれほど深みがあるわけではないけれど、人情喜劇の舞台装置があの頃を見事に再現していることで、中高年は思わず引き込まれてしまう。
高速道路のかからない日本橋。新幹線が開業する前の夢の超特急「こだま」などディティールの楽しさを売り物にする工夫は、新しいジャンルかもしれない。

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『小池真理子トークショー』

071103_tokusyo作家小池真理子さんの小説「望みは何かと訊かれたら」刊行記念トークショーに行ってきた。
ご主人で同じく作家の藤田宣永氏をゲストに夫婦で作家生活をしている裏話を楽しく聞かせてもらえた。

お二人は50代半ば、団塊の世代よりは少し下だが、学生時代に全共闘による学生運動や思想活動の洗礼を受けている。今回の小池さんの作品もまさにその時代に翻弄された一人の女性が主人公だ。
この日、私は昼間早稲田祭に顔を出し、あまりにも「いい子ばかり、まるで高校生のように素直な大学生」に接していただけに、二人の語る学生時代とのあまりの落差にとまどった。
私自身いつもはトークショーやサイン会を受ける立場だが今日ばかりは嬉々として、行列に並んで楽しかった。

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『学園祭』

071103_gakuensai秋は学園祭シーズン。
ふと思い立ち母校の早稲田祭を覗いてきた。
私には自分が学生時代に学園祭に参加した記憶がない。
私たちのひとつうえの世代は学生運動華やかだったが、その後キャンパスには虚無感が漂い、学園祭に燃えるという雰囲気はなかった。
私の友人たちは、学園祭前後の授業が中断する時期は「秋の観光シーズン」と位置付け、旅行に出かける者も少なくなかった。
私は田中康夫と同い年、まさに「なんとなくクリスタル」な学生時代だったのだ。

それがどう変わったか。
私は大学の学園祭でそれを感じたかった。

まずキャンパスを埋めつくす人の多さにびっくりだ。
二日間で20万人近い人出だという。
有名歌手のコンサート、テレビで顔を売った政治家やコメンテーターのオンパレード、未来の女子アナを選ぶ早慶コンテストなど、様々な模擬店も含めてバラエティー番組のお祭りといった様相だ。まるで視聴率を競うテレビ局のように自分たちの見世物小屋に客を引き寄せようとすることには長けているのが今の学生だなと感じた。
一方で、政治的なスローガンや自己主張、研究発表など真面目に掘り下げるという場として学園祭を捉えるという発想はあまり感じられなかった。

器用で優秀かもしれないが、どことなく細身でたくましさを感じない彼らが明日の日本の屋台骨を支えるのだと、感じた。

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『フェルメールの名画を見に行く』

071105_ferumeru乃木坂にできた国立新美術館に「フェルメール 牛乳を注ぐ女とオランダ風俗画展」を見にいった。

フェルメールの作品数はけっして多くはないが、この牛乳を注ぐ女はオランダ絵画の最高傑作として知られ、今回は日本初公開ということもあって人気を集めている。
オランダが全盛期だった17世紀から18世紀にかけては美術の世界でも黄金期でたくさんの名画が生まれているが、この牛乳を注ぐ女に代表される庶民生活を題材にした風俗画が多いのが特徴だ。

光の濃淡をうまく使い分け、計算しつくされた技法の解説を受けて、ますますこの絵の持つ神秘性を感じることができた。
過去の絵画鑑賞にはなかったCGなども駆使した解説を加えることによって、よりいっそう美術鑑賞は奥行きを増したと思う。

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