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2010.02.26

2月25日(木)

始発電車で羽田へ。
ストーブなしでも寒さを感じない。季節の変化を肌で感じる。
今日は福岡。
講演は夕方だが、交通機関が時間通り動くことを信じない私は、可能な限り早く目的地に着き、時間つぶしを考える。
人生遅刻なしこそ価値があると信じる。
放送局では理由など関係なく一秒遅れてスタジオに入っただけでも遅刻なのだ。
頭の中にいつもストップウオッチがある。
講演は私ひとりが遅れれば集まった人に迷惑がかかる、飛行機が飛ばなければ仕方ないは言い訳にはならない。
人生で成功する第一歩は、時間を資源と位置付けられるかにかかっている。

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2010.02.25

2月24日(水)

馴染みの表参道の美容「リアン」へ。
そのあとスカイツリーの足元、立石商店街をリサーチしてから葛飾の講演会へ。
もっぱらタワーによって東京東部地区が大変貌を遂げる可能性を説明した。
東部戦線異常あり。

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2010.02.23

2月23日(火)

春を思わせる陽気だ。
気がつけば2月も最終週、今年もあと残すところ10か月あまりとなった。
歳をとるごとに月日の過ぎ行くのが早く感じられる。
秋に日本シリーズが終わると子供の頃はプロ野球の開幕まで気が遠くなるほど長く感じられたものだが、いまはあっという間にもうオープン戦かとびっくりする。
オリンピックだって4年というインタバルはとても長いものと思っていたが、いまは驚くほど短く感じる。
人生は短い。
何かをやろうとするならばあまりにも短すぎる。
鏡を見るたびに歳を重ねた自らの顔を見てそう感じる。

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2010.02.22

2月22日(月)

三週間一日も空けずに講演、セミナーが続いた。
空前の忙しさで、その合間にサイトの撮影や編集、打ち合わせがある。
今日は雑誌のインタビューが事務所に来るだけで気分的には久しぶりのオフ。とはいえ明日からの準備や日頃留守して手がつけられなかった仕事をやるから、たぶん夜寝るまで仕事をしないのは食事時間くらいなのだが、一日15時間以下の仕事時間ならば久しぶりのオフだ。

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2月20日(土)

忙しい土曜日。
午前中新サイト「西村晃のマーケティングの達人 大繁盛の法則」の打ち合わせ。
午後から元気塾。
夕方から懇親会。
合間を縫って全国から集まる会員との打ち合わせや相談が入る。
一ヶ月がこの日を中心に回っているという気がする。
今日のゲストは元日航CAでプリサージュという「おもてなし研修会社」を経営する佐野昭子さん。
挨拶一つにも奥が深いと実感。

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2月19日(金)

100219_193130久しぶりにフラワーアレンジメントに行ってきた。
すっかり花は春になっていた

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2010.02.18

2月18日(木)

雪の東京を尻目に名古屋から京都へ。
春節休みで京都も団体客は中国人ばかりが目立つ。
カラフルなジャケットに身を包み、ひときわ大きな声を上げて楽しそうな姿に、中国のいまの自信の匂いを嗅ぐ。
せいぜいたくさんお金を落として行って頂きたい。
日本の消費落ち込みを補っていただく大切なお客様なのだから。

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2月17日(水)

また名古屋へ 。
講演に打ち合わせなど朝から分刻みのスケジュールだ。
1月初め、名古屋はトヨタ黒字転換の見込みでみんな明るかったが、リコール騒ぎでまたシュンとなってしまった。
今日も元気いっぱいの話をしてきた。

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2010.02.17

2月16日(火)

昼過ぎに入ってきたオリンピックスピードスケート銀銅メダル獲得は、暗い日本に久しぶりの明るい話題となった。
ただ金メダルの韓国を含めてアジアがメダルを独占すると、かつてのジャンプなどのようにまたルール変更を欧米が言い出さないかと不安になる。
思えば自動車だって御家芸を侵されたとなれば猛烈なバッシングの仕返しが待っていた。
けっして一位になるまいとしていたトヨタが、ライバルがこけて図らずも一位になった途端に風当たりが強くなっていることが頭をよぎる。
おめでとう、しかし何もなければいいのだが、と少し不安なアジア勢のメダル独占だった。

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2010.02.15

2月15日(月)

ジュビロ磐田で知られるJR磐田駅からバスに乗り、ららぽーと磐田に行ってきた。
東名高速道路沿い、サービスエリアとも直結するという絶好のロケーション、しかしやはり地域のショッピングセンターとして成り立たせるためには路線バスも欠かせない。
私の乗ったバスは1時間に2本平均、磐田駅とを結んでいる。
商業スペース2階建てにシネコンが3階に入るショッピングセンターで、超大型というわけではないが家電量販にスポーツ、ベビーの大型テナントもうまく組み合わさり、あらゆる顧客ニーズに対応している。
また動線が1階が八の字、2階が円形で、歩いていると自然と起点に戻る仕掛けになっているから疲れを感じない。
広々としたフードコート、通路あちこちに置かれたソファーに清潔なトイレやおむつ替え室などアメニティーが一級品なのも固定客をつくる決め手になる。
物販でも「遠州の駅」という地元特産物を扱うショップが大きなスペースを取るといった工夫も見られ、高速道路からの集客も意識している。
寒い2月。
月曜日の雨降りにこれほどの客がいることに驚いた。

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2月14日(日)

100214_144207浜松のデザインとペットの専門学校ルネサンスに行って卒業制作展を取材した。
ゆとりの教育の弊害で学力のない学生が目標もなく大学生活を過ごし、4年のうち前半2年を基礎学力補強に追われ、後半2年は就職活動に費やす割には就職にありつく率が極端に少ないのに比べて、自分のやりたいデザインやペットのしつけなどに腕を磨くこの学校の学生たちのほうがはるかにいきいきとして希望に目を輝かせていると感じた。
大学生の就職率を大きく上回る正規雇用就職率9割以上という実績も、だらしない大学生と比べて当然と感じる。

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2月13日(土)

小雪まじりの関東なのに、私が講演に出かけた名古屋は暖かい晴天。
晴れ男は今日も健在。

バンクーバーオリンピックの開会式をテレビで見る。
着衣乱れのスノーボードの選手が話題になっているが、まるで母親のような橋本聖子団長に付き添われて謝罪会見させられて、腹の中は「うぜえ、ざけんじゃねぇ」と思っているのがミエミエで面白かった。
朝青龍の引退会見、灰色幹事長や脱税総理の会見も腹の中はたいして変わらないように私には見える。

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2010.02.12

2月12日(金)

世田谷は住宅地だからあまり講演に呼ばれる機会はない。
だから今日三軒茶屋での商工会議所と地元信金との共同主催による講演会は楽しみにしていた。というのも世田谷は生まれ故郷だからだ。
小さい頃よく三軒茶屋は親に連れてきてもらった。
地下鉄や高速道路もない路面電車とバスだけ、当時の街からは今の街は想像しにくい。
しかし便利さの半面、街の個性が失われ、通過するだけの街になってしまったような寂しさも覚える。
三軒茶屋という個性的な地名でも分かるように、もともと大山街道の休憩地点から発展し、いまも世田谷線が発着する交通の要所で古くからの商店もまだ残っている。
地域の歴史を大切に個性的なまちづくりをして行けば、この街を歩いてみたいと感じる人も多いに違いない。
何よりもこの街の祭やここだけでしか味わえない食べ物の開発が急がれる。
地元の人々が地域のアピールポイントをよく理解して、意識して街の特徴を際立たせる努力をしないと、風化現象があっという間に街を覆ってしまう。

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2010.02.09

2月9日(火)

先週に続きまたもや新宿から特急に乗る。
岡谷から飯田線に乗り換え、伊那松島というところで講演がある。
飯田線は以前、全線乗ったことがある。
かつて私鉄を国鉄が買い取ったために駅が頻繁にあるのが特徴で、普通列車が律儀に停車してゆく。
天竜川に沿った車窓は風光明媚でとくに桜の時期は圧巻だ。
先週は寒さ厳しかったが一点して今日は脱いだコートを忘れてしまうほど暖かい。
助かった気分だ。

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2010.02.08

2月8日(月)

本日は宇都宮。
栃木県庁主催「とちぎ産業活力フォーラム」の基調講演をした。
これは県内で目覚ましい活躍をした中小企業を表彰するもので、均一性に優れる無電解めっき法をベースとした表面処理技術を確立した「桑名商事」や超音波振動によるチタン合金などを加工する技術などを開発した「スズキプレシオン」など6社が福田県知事から表彰された。
私は基調講演で「理科」だけでなく「社会科」を合わせて売る発想の大切さや、大手の下請けは胸を張っていいが、困るのは下請け根性で、向こうから仕事がやってくるという受け身の気持ちではダメだと訴えた。

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2月6日(土)

北海道から日本海側にかけては大雪だ。
天気を気遣いながら今日も旅にでる。
中央線で茅野へ、そこから蓼科に向かう。
朝ホテルに確かめたが、雪は幸いそれほどではないという。
青空の下、雪景色を見ながらの列車の旅は快適だ。
新宿から茅野まで2時間あまり。
駅の温度計は氷点下5度をさしていた。
蓼科高原での講演でとんぼ返りだったが、タクシーの運転手の盛りを過ぎた観光地の嘆き節が心に沁みた。
70年代80年代高原ブーム、ペンションブームに便乗した人達は、夢破れ廃業も目立つ。
新しい魅力を打ち出せないまま過去の成功体験にしがみつく人達に、発想の転換を促すのは難しい。

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2月5日(金)

100205_133809今日は記念すべき日となった。
いまから40年前の中学生の頃の憧れの人と出会えたのである。
落合恵子さんだ。
中学二年の頃、深夜放送族だった私はリクエストカードを落合さんに読んでもらった。
それから一週間後、その落合さんから礼状が届いたのだ。
私にとってこの一枚のハガキは宝物だった。
それから10年後、NHKに入った私はディスクジョッキーを担当する。
あの時の感動を思い出し、ハガキを読んだリスナーに礼状を出し続けたのだ。
いまだにそのリスナーと年賀状のやり取りが続いている人もいる。
人とのつながりの大切さを私に教えてくれたのが落合さんだと私は思っている。
ハリウッド化粧品の牛山勝利社長の計らいで、今日ついに出会いが実現した。
緊張などしたことのない私が、今日はなにかとても緊張してうまくしゃべれなかった。
とてもたのしいひとときを過ごすことができた。
いつか夢は叶うものだと実感した。

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2010.02.05

2月4日(木)

暦の上では春だが、かなり冷え込んだ朝だった。
暗いうちに朝食会場へ。
「朝いちばん」と「大江戸歴史とぐるめ倶楽部」の二本立ての日だ。
小沢不起訴に朝青龍引退、そしてトヨタ大量リコール記者会見という騒がしい日だった。
もやもや不透明の世の中、明るい話題はないものか。
せめてオリンピックで日本選手に期待したいと思っている人も少なくないようだ。

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2010.02.03

2月3日(水)

お台場アウトレットへ。
ヴィーナスフォートの中にアウトレットが出来て、とくに足元のテレビ局などマスコミは取材に便利という理由で煽っている。
はっきり言ってどうしようもない施設だ。
東京とその周辺の消費者にとっては出来たころは行ったけど、まあわざわざ2度いくところではない、という忘れられた存在のショッピングセンターであるヴィーナスフォートだから、近年中心顧客は地方からの「お上りさん」とアジア系外国人だった。
そう、まさにこの東京の場末の埋め立て地をまだ「上り」と理解してくれているのはこういう顧客層に限られるということだ。
東京の人間から見れば、臨海副都心はゆりかもめなどで「下るところ」だ。
銀座など「上りの場所」からわざわざ下って買い物する必要はない。
行き詰まったヴィーナスフォートがついに手をつけたのが「下らせる切り札」とも言うべきアウトレットだった。
しかしいくら下りとはいえ御殿場や軽井沢と違って、いかんせんプロバー価格で売っている都心は目と鼻の先で一流ブランドは出店できない。
中途半端な品揃えで、せめてシブヤ系セクシーカジュアルのアウトレットが入ったくらいしか目新しさがない。
しかもアウトレットはヴィーナスフォートの3階だけで、他の階には一般店が入っているからややこしい。
アウトレットが人を集めればその分一般店は劣勢となり、ショッピングセンター内の内部競争が厳しくなってしまう。
場当たり思いつきの店作りが破綻するのも時間の問題だ。

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2月2日(火)

岐阜県八百津町という木曽川のほとりの町にある「内堀醸造」のロケに行った。
明治時代、土間で酢や味噌など量り売りしていた旧家がそのまま残されている。タイムスリップしたような年代ものの建築物の価値を味わってきた。
多治見で夕方講演。
中国に押されている陶器産業の危機を感じた。

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2010.02.01

2月1日(月)

100130_104840今日は多くの私立中学の入学試験日だ。
うちの子供が受験した時を思い出す。
今年はその息子が試験監督補助だそうだ。
時の流れの早さを実感する。
週末の湯島天神は、受験生というよりむしろその祖父母と思われる人の参拝が多く見られた。
梅が膨らみ始めた境内。
春の訪れは近い。

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1月30日(土)

「大江戸歴史とぐるめ倶楽部」の下見に歩いた。
ぐるめは大人気の根津釜ちく。
そして龍馬伝で人気沸騰岩崎邸。
さらにいまが盛りの湯島天神で梅を見ようと考えている。
梅は早咲きがきれいに咲いていた。
「大江戸歴史とぐるめ倶楽部」は季節も旬、話題も旬、ぐるめも旬を行く。
だから歴史ものなのに直前にネタを差し替えるのが常である。
いつも新しい江戸を訪ねるのがウリだ。

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